中学1年生の翼くんが歴史の授業で学んだ栃木の武将「藤原秀郷」由縁の神社を巡ってきました。
宇都宮を出発して、佐野に小山、途中でラーメンにイモフライも食べて家族で栃木の歴史を学べました!
【栃木の武将、藤原秀郷とは?】
940年、現在の関東地方、坂東を制圧し、自らを新皇と称して朝廷反乱軍となった平将門を天皇の命令により倒し、乱を治めます〈平将門の乱・承平天慶の乱〉。その功績から下野・武蔵の両国司、従四位下の階位に昇り武門の頂点である鎮守府将軍となりました。その強さは『宇都宮の百目鬼退治』に『近江の大百足退治』などおとぎ話として語り継がれています。当時は『秀郷流』を名乗る事は武士の誉れで有り、氏族も全国に拡がります。栃木県内の氏族には、藤原姓足利氏、佐野氏、小山氏、長沼氏、皆川氏、那須氏… それぞれが所領地名を名乗っていますが、本姓は秀郷流『藤原』になり、栃木県内各地の礎を秀郷流藤原氏族が作り、秀郷や子孫が創建した神社が県内には多く存在し、伝説や民話も残ります。
◾️将門の乱、平定を願い戦勝祈願「宇都宮二荒山神社」-宇都宮-
将門との戦いに際し17日間の戦勝祈願にて霊剣を授かり、将門と戦ったといわれます。秋の例大祭は乱を治めた成就の勅祭が起源となります。
市内中心部に存在し、観光スポットでもあり、栃木県唯一の大明神「二荒山神社」
「大明神さん」「ふたあらさん」と親しまれています。
長い歴史を持つ二荒山神社は、何度も火災にあい、近世にはいってからも1586
年/天正13年・1773年/安永2年・1832年/天保3年、明治維新の戊辰戦争と4度火災に見舞われ、古い記録のほとんどを焼失しています。
現存する社記によると第16代仁徳天皇の御代に上毛野国・下毛野国の二国に毛野国が分けられ、豊城入彦命の4世孫の奈良別が下毛野国造となりました。
御祭神は「豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)」
相殿「大物主命(おおものぬしのみこと)」「事代主命(ことしろぬしのみこと)」
豊城入彦命は武徳にも優れた神様で、、藤原秀郷・源頼朝・徳川家康など有名な武将たちが戦勝祈願に訪れ、寄進や社殿の改築をしたと言われています。
平将門の乱を収める命を天皇より受けた藤原秀郷が17日間の戦勝祈願をして霊剣を授かり、将門と戦い勝ちました。
二荒山神社では年間を通し様々な祭典が行われますが、中でも秋の例祭は平将門の乱鎮撫報賽の勅祭が起源となる最も厳粛な大祭。附祭の菊水祭は流鏑馬や鳳輦神輿渡御が行われます。
宇都宮二荒山神社
住所:宇都宮市馬場通り1丁目1-1
受付時間:9時~16時
◾️秀郷公の御霊を祀る山城跡の社殿「唐澤山神社/唐沢山城跡」-佐野市-
唐沢山城は927年に秀郷公が築いたのが始まりとされ、子孫の佐野氏に代々引き継がれました。1883年に秀郷公の遺徳を称え神社を創建。
927年/延長5年に築かれ居城とされた唐沢山城。
平野に突き出たような242mの独立峰・唐沢山に建てられたこの山城は、「関東一の山城」と呼ばれた名城。江戸時代の山城禁止令で廃城となります。
その後、約1世紀の時を経、1883年/明治16年 秀郷公の子孫及び旧臣によって組織された東明会によって秀郷公の遺徳を偲び、本丸跡に神社が創建されました。
唐澤山神社本殿がある本丸を中心に城跡が残る唐沢山。何度も戦いがあった唐沢山城は、攻撃に備えるたくさんの工夫があちこちに見られます。城主佐野市が豊臣秀吉と緊密だったため、西日本でよく見られる技術を使い築かれた本丸南西にある高さ8mを超える石垣は関東地方ではとても珍しく貴重なもの。他にも食い違い虎口や大規模な堀などが残っています。
幾度かの改変を経て織豊系城郭として整うまでの過程を見ることができる貴重かつ重要な城跡と人気があります。
県立自然公園にも指定されている唐澤山神社/唐沢山城跡はハイキングコースとしても人気の場所です。
唐澤山神社
住所:佐野市富士町1409
受付時間:9時~17時
◾️秀郷公が眠る直径24mの円形墳墓「藤原秀郷公墳墓」-佐野市-
秀郷公は991年に没し、こちらに有った秀郷公が開基した東明寺に埋葬されたといわれます。二つの鳥居に守られた神域を感じる墳墓です。
991年/天暦2年に没し、東明寺に葬られたと言われる秀郷公が眠る場所です。
東明寺は廃寺されましたが、1705年/英宝2年、地元有志が田原八幡を創建し、東明寺古墳、東明が丘などと呼ばれています。
現在、この墳墓は唐沢山神社の飛び地境内です。
藤原秀郷公墳墓
住所/佐野市新吉水町256-2
※駐車場はございません。たぬま道の駅から徒歩10分
◾️秀郷公の大百足退治を伝える彫刻「鞍掛神社」-佐野市-
秀郷公の子孫であり佐野氏の祖・戸矢子(足利)有綱が祀られる。本殿の彫刻は秀郷公の武勇と竜宮で賜った宝を伝える『俵藤太物語』の名場面。
1186年/文治2年、藤原秀郷公の子孫であり佐野氏の祖「戸矢子(足利)有綱」は
赤見山の戦いで左眼を山鳥の羽の矢で射られ、敗走します。途中井戸で目を洗い、治療しますが、回復する事なく鞍掛山で自ら命を絶ちましたちました。
戸矢子(足利)有綱は射抜かれた目を自分で洗った武勇の士。その霊を祀る神社が鞍掛神社です。村人たちが1186年に創建しました。
本殿三方に彩色された装飾彫刻が施されています。題材は藤原秀郷公の「瀬田川のムカデ退治」や「竜宮城に至った時の様子」
戸矢子(足利)有綱の霊を慰めるために造られた神社に何故戸矢子(足利)有綱本人の武勇に因んだ装飾ではなく、先祖・藤原秀郷の武勇を題材としたのでしょう?
飽くまでも推測ですが、村人たちは戸矢子(足利)有綱が藤原秀郷の末裔であることから、有綱公の武勇の源は先祖である武士の祖・藤原秀郷にあると考え、本殿を彫刻で飾ったのかもしれません。
鞍掛神社
住所:佐野市戸室町1524
※社務所は開いていません。駐車場あり
◾️関東平野を望む岩壁の竜宮城「磯山弁財天/出流原弁天池」-佐野市-
弁天池の裏山にそびえる朱色の社。948年、秀郷公の指示にて、弘法大師が江ノ島弁財天での護摩修行時の灰を祀り創建されたといわれる。
藤原秀郷公の歓進により弘法大師が相州江ノ島辨天にて護摩修行時の護摩の灰にて造られたものといわれています。
造られた当時、一帯には七宝伽藍が林立し、隆盛を極めていたといわれていますが、幾度かの火災によりお寺や宝物、古い記録をことごとく焼失。今私たちが目にする本殿は鎌倉時代に再建されたもので、「かけつくり」という釘を使わない建築方法で建てられています。
弁財天はヒンドゥー教の「サラスヴァティー」が仏教に取り込まれた呼び名です。
「サラスヴァティー」は元々川の神様なので、弁財天と水は密接な間柄。
水のある場所に弁財天が祀られるのはそんな理由があるのですね。
・出流原弁天池
1985年に環境省の名水百選に選定された透明度抜群の美しい池。池周辺の景色も水に劣らず美しく絵画や写真ファンからも人気の高い出流原弁天池湧水です。
栃木県指定天然記念物であり、出流川の源です。
池の辺から覗き込むと、静かに泳ぐ鯉たちの姿はもちろん、鱗一枚一枚まではっきりとわかる清らかさ!水底の植物の動きも一目瞭然です。
湧水は「ホテル 一乃館」脇でいただけます。
磯山弁財天
住所:佐野市出流原町1264
※御朱印等は、向かいの「ホテル一乃館」さんにて
◾️戦勝祈願の成就にて秀郷公が創建/須賀神社 -小山-
平将門との戦いを前に素戔嗚尊(スサノオノミコト)に戦勝祈願を行った秀郷公。
満願成就し、940年/天慶3年 京都の祇園社(八坂神社)より御分霊を歓請し
祀ったのが創祀といわれています。
当初は小山市中久喜地区に祀れられていましたが、小山城築城に際し、1159〜1160年/平治年間に現在の場所に遷座されました。
小山六十六郷の総鎮守でもあった須賀神社は、「祇園さん」と呼ばれ今も小山市民に親しまれている、1080年を超える由緒ある神社です。
1600年/慶長5年「小山評定」が開かれた地でもあります。
須賀神社
住所:小山市宮本町1丁目2−4
受付時間:8時〜17時
*8月7.13.27日 社務所 お休みです
ご家族やお友達と『貸切ジャンボタクシー』で、秀郷公由縁の神社を巡ってみませんか?
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藤原秀郷由縁の神社6箇所を巡る
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